| 初代・吉隆(よしたか) |
1609〜1671… |
元和9年(1623)12月信州川中島より国替えとなる。寛永元年(1624)亀田領の検地を行い、亀田城下の町づくりをはじめる。
18歳になった寛永3年(1626)4月、秋田藩初代藩主・佐竹義宣に養子入りし、佐竹藩二代藩主に就いて義隆と改める。これは、吉隆の父・貞隆が佐竹藩初代藩主・義宣の弟であり、義宣には跡取りがなかったためである。
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| 2代・宣隆(のぶたか) |
1584〜1672… |
佐竹義宣や貞隆の弟で、兄貞隆の嫡男で亀田初代藩主・吉隆が途中で義宣の後を継ぎ、秋田藩第二代藩主となったため急遽亀田藩に入ったもの。
真田幸村の娘・田(顕性院・お田の方)が後室。寛永5年8月岩城家を相続、11年に宣家を宣隆に改めた。
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| 3代・重隆(しげたか) |
1628〜1707… |
現在も月峰公(げっぽうこう)と呼ばれ、名君の誉れの高い藩主。新田の開発をし、藩の財政の基礎確立にも力を尽くした。城下町の整備にも取り組み、現在の町並みがこの時代にほぼ整ったとされる。また、水戸光圀の知遇を受けたことでも知られる。 |
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| 4代・秀隆(ひでたか) |
1673〜1718… |
3代藩主重隆の長男・景隆の子。景隆急死ののち祖父の命で相続。 |
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| 5代・隆韶(たかつぐ) |
1708〜1745… |
伊達氏から養子に迎えられた。亀田藩学の礎を築いた藩主。 |
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| 6代・隆恭(たかよし) |
1724〜1782… |
伊達一門から養子に入る。相続した延享以降、凶作が続く時代だった。 |
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| 7代・隆恕(たかのり) |
1765〜1817… |
天明6月藩校長善館創設。農民一揆や境争いの多い時代の藩主だった。
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| 8代・隆喜(たかひろ) |
1791〜1853… |
天保元年シーボルト事件関係者オランダ大通詞・馬場為八郎を預けられる。善政を認められ嘉永5年12月27日、陣屋から城主格に昇格。 |
| 9代・隆永(たかなが) |
1837〜1855… |
8代隆喜4男。在任2ヶ月で死去。 |
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| 10代・隆信(たかのぶ) |
1838〜1855… |
8代隆喜5男。安政2年に兄隆永の養子に改められたが、在任2ヶ月で死去。 |
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| 11代・隆政(たかまさ) |
1842〜1861… |
8代隆喜6男。兄隆信の養子となったが在任6年で死去。 |
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| 12代・隆邦(たかくに) |
1844〜1911… |
明治元年(1868)9月21日亀田城が官軍によって焼かれる。 |
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| 13代・隆彰(たかあき) |
1863〜1879… |
堀田正誠の長男、隆邦の養子となる。明治4年7月亀田藩が廃され亀田県となる。 |